worms.jpg
マルチン・ルター

​聖書のみ、

信仰のみ、

恵みのみ。

1517年10月31日、ルターが『95箇条の論題』を打ち付けた。

 当時の教会では、買うだけで罪の償いが赦される「贖宥状(しょくゆうじょう)」が出回るなど、正しい信仰のあり方が失われつつありました。そこで、ドイツの神学者マルティン・ルターはそのような教会のあり方を、ヴィッテンベルク城門に『95箇条の論題』を公然と打ち付けることによって批判し、教会の改革へと取り掛かりました。

 「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」の三つを原理とした改革を進めたルター。人は善行によって義とされるのではなく、信仰だけによって義とされ、救われる。この大転換が「宗教改革」なのです。

 こうしてルター派教会、すなわちルーテル*教会が生まれました。ただ、ルターは従来の教会を破壊して新しい教会をつくろうとしていたのではなく、あくまで教会をより良いものにしようと努力しただけでしたが、当時のローマ・カトリック教会からは抗議者=プロテスタントとして破門**され、その結果として新たな教派が出来上がったのです。次第にルーテル教会はドイツを中心に、北欧やアメリカ、そして日本にも広がっていきました。​

*「ルーテル」は"Luther"の舞台ドイツ語読み。口語では「ルター」と読む。

**ルーテル教会とローマ・カトリック教会は20世紀中盤より幾度も対話が繰り返され、合同礼拝を行うまでに関係が回復しました。今も一致のための対話が続けられています。

95ヵ条の論題」を掲示するるルター

城門に『95箇条の論題』を掲示するルター

​フェルディナンド・パウエルス 画 1872年

ルターはキリスト教を、民衆のものへと改革した

 そのころの教会の典礼用言語はラテン語だけでした。もちろん民衆にはさっぱりわかりません。ミサでは司祭が唱える意味のわからない言葉を聞くだけでした。だからこそ、ルターは聖書を「俗語」であるドイツ語への翻訳に取り組みました。また、それまでは聖歌隊だけによって歌われていた聖歌を、誰でも歌えるドイツ語の親しみやすい讃美歌に整え、キリスト教を民衆のものへと変えていったのです。讃美歌「神はわがやぐら(ドイツ語:Ein' feste Burg ist unser Gott)」*はルターの作詞作曲によるものです。

*「讃美歌('54年版)」267番、「讃美歌21」377番、「教会讃美歌」450番 など

ルター聖書

​1534年出版のルター訳聖書

「神はわがやぐら」楽譜

「神はわがやぐら」のネウマ譜手稿。右下にルターの署名が見える。

ルーテル教会と音楽

 「音楽の父」といえばバッハ。誰もが小学校の音楽室や教科書で見たことがあるあの人。彼は熱心なルーテル教会の信徒であり、たくさんの教会音楽を作曲しました。

 ルターは自身でも曲を作ったりリュートを弾いたりと、音楽を深く愛しました。彼の宗教改革は西洋音楽にも絶大な影響を与えたのです。これが、ルーテル教会が「歌う教会」と言われる所以です。

 ルターが作曲した讃美歌「神はわがやぐら」のメロディーは、バッハのカンタータ第80番「われらが神は堅き砦」、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」、マイヤーベーアの歌劇「ユグノー教徒」などで用いられています。

バッハ

​ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

メンデルスゾーン

​フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ

カンタータBWV80楽譜

​バッハのカンタータ第80番「われらが神は堅き砦」の自筆譜

​ルターよもやま話

ルター、雷が怖くて修道士に

 堅実な父親ハンスからの強い要望でエアフルト大学に入学し、哲学や法学を学んでいたルター。ある日の旅行中、雷が間近に落ちたところに遭い、恐怖のあまり「聖アンナ様!助けてください!私は修道士になります!」と叫んだとか。思わず叫んでしまったとはいえ、神に請願を立ててしまったと思い詰めたルターは、悩みに悩み抜いた結果、アウグスチノ修道会に入ってしまいました。

修道士ルター

修道士ルター

​L.クラナッハ(父)画

1520年

カタリーナ・フォン・ボラ

妻 カタリーナ

​L.クラナッハ(父)画

1526年頃

ルターと結婚

 聖職者の結婚禁止は聖書に根拠がないとして批判したルター。彼自身も、修道院から抜け出した元修道女のカタリーナ・フォン・ボラと結婚しました。プロテスタント教会における教職者の結婚は、ここから始まります。子宝にも恵まれ、楽しそうに家族のひと時を過ごすルターファミリーを描いた絵画も残っています。

 カタリーナさんは料理上手でやりくり上手だったらしく、修道院時代に比べ、結婚後はかなり肉付きがよくなってしまったルターの肖像画を見ると、なんとも微笑ましいものです。ルターは著書で彼女のことを「私の女王様」と呼んだこともあります。

 ルターの家族愛は相当なもの。「彼女が私を愛するよりも、私は彼女を愛している」「彼女が子どもたちと死ぬより、むしろ私の方が死にたい」と語っています。ルターは教育にもしっかりとした持論があり、「父親が子のためにできることは最もふさわしい教師を探し出すことだ」と語ったといいます。

ルターとビール

 ルターを語る上で欠かせないのがビール。修道院ではよく飲まれ、今でもあちらこちらの修道院で醸造されています。(ベルギーの「シメイ」や「ウエストフレテレン」などが有名ですね。)彼はビール、特にアインベックで造られる「ボックビール」が大の好物で、「最もうまい飲み物」と称賛するほど。「私がここに座ってうまいヴィッテンブルクのビールを飲む、そうすると神の国がひとりでにやって来る」という名言も。

ルターと家族、友人

リュートを弾くルターと家族

​(ルターの左側の男性はメランヒトン

​G.シュパンゲンベルク画

1875年頃

※参考文献

 徳善義和,『マルチン・ルター 生涯と信仰』, 教文館, 2007.

 徳善義和,『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』, 岩波新書, 2012.

 M.ルター 著, 植田兼義 訳,『卓上語録』, 教文館, 2003.

紋章「ルターの薔薇」

ルターローズ

 ルターが彼の著書や自邸で用いていた紋章がこの「ルターの薔薇(ルターローズ)」です。この紋章には「薔薇の上のキリスト者の心臓は、十字架の真下にあるとき脈打つ。(ドイツ語:Den Christenherz auf Rosen geht, wenn's mitten unterm Kreuze steht.)」という表題が付けられています。

 黒い十字架は「キリストの死と復活」、赤いハートは「キリストへの信仰」、白い薔薇の花は「慰めと平和」、地の青は「天の喜び」、金色の輪は「永遠の救い」を表しています。

 現在でも、ルーテル教会のシンボルマークとして、世界中の各所で用いられています。

​ルーテル教会の信条

使徒信条

天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、わたしたちの主(しゅ)イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊(せいれい)によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒(せいと)の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

ニケア信条

天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主、全能の父である唯一の神を私は信じます。
唯一の主イエスキリストを私は信じます。主は神のひとり子であって、すべての世にさき立って父から生まれ、神の神、光の光、まことの神のまことの神、造られたのではなく、生まれ、父と同質であって、すべてのものは主によって造られました。主は私たち人間のため、また私たちの救いのために天から下り、聖霊により、おとめマリヤから肉体を受けて人となり、ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書のとおり三日目に復活し、天に上られました。そして父の右に座し、栄光のうちに再び来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。その支配は終わることがありません。
主であって、いのちを与える聖霊を私は信じます。聖霊は父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられます。また、預言者をとおして語られました。
唯一の、聖なる、公同の、使徒(しと)的な教会を私は信じます。
罪のゆるしの唯一の洗礼を私は受けいれます。死人の復活と来たるべき世のいのちを待ち望みます。

​その他の信条・教理についてはこちら(JELCホームページ)をご参照ください。